会員向けクルマ
biz

ABOUT日本自動車会議所とは

あゆみ

戦後復興の中から

昭和20年8月15日の終戦を機に日本経済の復興が始まったが、長期間続いた統制経済の影響と未曾有の混乱、物資不足の中で、自動車産業、運輸産業は多くの制約を受けていた。

しかしながら、戦後復興に不可欠な自動車産業の再建に向けた動きが活発化、「道路、交通、税制、燃料、資材など自動車に関係する重要な問題に取り組み、行政に業界の意見を反映する」ため、幅広い関係分野の産業界が連携して昭和21年6月14日、「社団法人日本自動車会議所」が設立された。

昭和20年代においては設立直後から、連合軍トラックの払い下げ促進と運用についての建議などを展開し復興事業へ貢献したのをはじめ、設立翌年の昭和22年には、自動車の検査・登録体制や道路交通取締法(のちの道路交通法)、道路運送法などに対する多くの建議を重ね、自動車産業復興に向けた行政への働きかけを展開した。

自動車産業振興のための活動・事業では、昭和23年発足した「自動車産業協賛会」の事務局として道路整備促進大会、ヂーゼル自動車普及講演会、自動車展示会、自動車パレードなど、自動車産業振興のための啓蒙活動を推進している。

昭和29年には復興計画の根幹のひとつでもあった道路整備のため、第1次道路整備5ヵ年計画がスタート、これにともなう自動車関係新税の創設や増税に対しては、自動車に過大な負担とならないよう積極的な要望活動を繰り広げた。こうした税制問題への取り組みが、その後の自動車会議所の事業基盤づくりにつながった。

昭和20年代後半の東京都内

モータリゼーションの進展とともに

30年代の増税反対活動

ワトキンス調査団と日本自動車会議所との会談(昭和31年)

昭和30年代に入ると、わが国は本格的なモータリゼーションの時代を迎えた。しかし、自動車の生産が右肩上がりに増えていく一方で、道路などの自動車を取り巻く環境整備が追いついていなかった。

このような中、昭和31年、当時の建設省が招いたアメリカのワトキンス調査団と日本自動車会議所との会談の中で、日本自動車会議所は「道路改良費用を自動車業界だけで負担するのは不適当」との見解を引き出し、自動車業界が「道路整備費用の半分は一般財源を振り向けるべき」と主張する背景となった。

しかし、道路整備の財源にするために、自動車に対する新たな税の創設や燃料税の大幅な増税など自動車関係諸税の増税が頻繁に行われるようになってくる。日本自動車会議所は、こうした増税の動きに対して、全国の自動車業界と共に活発な増税反対活動を展開した。

昭和30年には「揮発油税増税反対同盟」、34年に「全国揮発油税増徴反対同盟」、38年に「新道路整備関係増税反対協議会」、43年に「自動車関係諸税増徴反対同盟」、45年に「自動車新税創設反対同盟」、47年に「自動車諸税増税反対同盟」などが結成され、とくに所得税減税の見返りに自動車関係税を引き上げるという政府方針が打ち出された昭和47年には、自動車会議所内に「自動車諸税増税反対対策本部」を設置し反対活動を展開、増税阻止を実現するという成果をあげている。

これら反対同盟などの結成は、自動車業界の総意を結集した動きとして大きな力となり、昭和45年の10月に東京・千代田区の日本武道館で行われた自動車新税反対全国総決起大会には1万6千人が結集したほか大規模な街頭デモを繰り広げ、新税(自動車重量税)の実現はその後に繰り延べられている。

モータリゼーションが進むに従って、30年代から40年代にわたって交通事故問題、排出ガス問題、都市の交通渋滞問題などが社会問題としてクローズアップされ、自動車業界としての対応が求められるようになってきた。また、自動車の普及に伴い行政分野の対応策にも動きが出始めたが、この中で行政改革に関する陸運事務所の地方委譲問題に関しては、自動車業界として一致団結して要望活動を展開した。

43年には「陸運行政地方庁移管反対同盟」を結成した結果、都道府県内の陸運行政は陸運局の責任で行ない、陸運事務所は運輸省の出先機関とすることで決着した。業界が団結して行動することにより、行政システムの混乱を招きかねない動きを阻止した成果のひとつであった。

このほかにも、公害健康被害補償制度の適切な運用について環境庁に申し入れを行なうなど、社会的な問題についても業界の意見を集約した要望活動を展開した。

昭和40年代の東京モーターショー

昭和40年代の東京モーターショー

クルマ社会の発展を支えて

渋滞する首都高速道路(昭和54年)

渋滞する首都高速道路(昭和54年)

昭和50年代に入ると、自動車の保有台数は一気に拡大、51年に3,000万台、56年に4,000万台を突破し、さらに昭和60年代には6,000万台(61年)へと増加のペースを速めていった。昭和40年代末の第1次石油ショック、そして50年代半ばの第2次石油ショック、あるいは世界でもっとも厳しい排出ガス規制の実施など、自動車にとって重大な課題に直面した。

しかし、国民経済や生活にとって自動車の有用性がますます大きくなっていたことに加えて、生活の多様化や個性化などを背景に需要と保有台数が増加、関連産業分野、アフターサービス産業分野も成長を続け、「クルマ社会」は大きな広がりをみせた。

その半面、自動車の保有台数増加にともなって、交通事故、環境、交通渋滞問題なども深刻さを増し、一方で道路整備計画規模の拡大のため、自動車関係諸税の増税が相次いだ。

こうした動きに対して日本自動車会議所では、昭和52年10月に結成された「自動車関連問題国会議員連盟」(後に自動車議員連盟に改称)を通じて、税制を含めた自動車関係行政全般の効率的運用をめざした要望活動など、自動車業界全体としての統一的行動を展開、増税反対活動のほか、行政書士法の改正問題、自賠責保険料の大幅引き上げ問題や診療報酬基準の導入問題、有料道路の制度や料金問題などに積極的に取り組み、多くの成果を引き出した。

昭和60年代の東京モーターショー

昭和60年代の東京モーターショー

税制関係では、昭和51年から抹消登録車・使用廃止軽自動車に対する重量税の還付を訴えたのをはじめ、排出ガス規制適合車に対する自動車取得税の軽減などを実現した。また、52年には燃料関係税の引き上げに対して「自動車増税反対同盟」を結成し業界代表者による総決起大会を開催するなどの活動を繰り広げ、石油税の創設はあったものの燃料税の税率特例措置実施を2年延長するという成果を引き出した。

さらに54年には物品税増税案を阻止し、59年は引き上げ率の圧縮を実現、昭和61年は大型間接税(売上税)の導入構想について、自動車諸税の二重課税回避を強く要請し、関係税率の圧縮と中古車などの非課税を実現したが、新税法案そのものは廃案となっている。この大型間接税はその後、抜本税制改革案として審議され消費税として平成元年4月に導入されたが、日本自動車会議所では、関係業界とともに自動車議員連盟を通じて要望活動を展開し、物品税の廃止などの成果をあげている。

新たなモビリティ社会に向けて

フォーラムでは47都道府県で「ユーザーの声を集める活動」を展開(2017年~2019年)

フォーラムでは47都道府県で「ユーザーの声を集める活動」を展開(2017年~2019年)

平成に入り、社会の成熟化や経済のグローバル化、ITによる技術革新などが急速に進み、2000年代に入ると自動車産業は、「100年に一度」と言われる大変革期を迎えた。

税制関係では、業界活動からユーザー視点に立った活動にシフトしつつある。平成8年9月に東京・日比谷公会堂に全国から3,000人が結集し、消費税と二重課税となっている「自動車取得税」撤廃を求め総決起大会を開催。以後、取得税廃止を重点要望として掲げて活動し、『平成25年度税制改正大綱』において「消費税10%の時点で廃止」を勝ち取った。

平成13年以降、道路特定財源の一般財源化が国会でも盛んに議論される中、自動車関係諸税の負担軽減・簡素化の実現に向けて、当会議所やJAF(日本自動車連盟)など自動車関係14団体(当時、令和3年6月現在は21団体)で構成する「自動車税制改革フォーラム」が平成14年4月に結成された。同年11月、東京・日比谷公会堂に2,500人が結集し、道路特定財源の暫定税率廃止を訴える総決起大会を開催し、道路特定財源を巡る攻防戦が幕を開けた。

その後、フォーラムでは「道路特定財源の一般財源化絶対反対総決起大会」(平成18年10月)、「自動車ユーザーの負担軽減を訴える緊急総決起大会および請願行進」(平成20年11月)などを挙行、一般財源化反対の活動は頂点に達した。平成17年10月から平成18年末まで署名活動も行われ、1,000万人を超える反対署名が集まったものの、平成21年度に道路特定財源は一般財源化された。しかし、平成23年9月には一般財源化により課税根拠を失った税の廃止を求める署名活動を展開するなど、フォーラム・業界が一丸となった活動がその後も引き継がれ、JAFを中心としたユーザー負担軽減を訴える街頭活動が毎年全国で行われている。

自動車関係諸税の抜本改正論議が行われた平成30年秋には、「自動車税引き下げ」を求める全国7,800万ユーザーの声を47都道府県知事全てに届ける活動を展開。業界挙げてのユーザーを巻き込んだ活動が実り、念願だった「自動車税の恒久減税」が令和元年10月から実施された。今後、中長期的な視点に立ったあり方が検討されるなど、自動車税制は新たなステージで議論される見通しだ。

交通安全関係では、交通事故死者数がピークだった昭和45年の4分の1以下の水準にまで大きく低減しているものの、飲酒運転など悪質違反や高齢ドライバーに起因する重大事故の多発など、依然として厳しい状況にあるとの認識の下、関係機関・団体などと連携して啓発活動を展開している。平成13年からは、体験型啓発イベント「交通安全。アクション」を毎年開催し、自動車関係団体の交通安全イベントとして注目されている。また、当会議所が愛称「サポカー」やロゴの決定に関わった「安全運転サポート車」の普及促進にも取り組んでいる。

環境関係では、NOx・PM法、自動車リサイクル法、東京都のロードプライシング導入案、京都議定書・パリ協定に基づく地球温暖化対策などに対し、積極的に政府に意見書を提出してきた。啓発活動にも注力し、全国の会議所と連携しエコドライブなどを呼び掛けている。

保険関係では、政府の審議会などを通じ自動車ユーザーの立場に立った制度改正を一貫して要望し、特に自賠責保険については、自動車安全特別会計から一般会計に繰り入れられている約6,000億円の早期繰り戻しを強く求めてきた。その結果、平成30年度に15年振りの返済が再開。現在(令和3年度)まで継続的に繰り戻されているが、繰戻金は交通事故被害者救済の原資にもなるため、引き続き早期繰り戻し実現に向けた活動を展開している。

平成16年3月には、自動車業界念願の「日本自動車会館」が東京・港区芝大門に開設された。日本自動車会議所は同会館の運営事務局として、自動車関連分野の連携や、情報発信機能をさらに強化し、開設理念の具現化に向けた活動を推進している。

新たな時代「令和」が幕を開け、AIやIoTなど技術革新が自動運転や電動化を推し進めている。クルマは大きく進化し、クルマ社会そのものも変わろうとしている。SDGsや2050年カーボンニュートラルの実現など新たなテーマへの取り組みも求められており、日本自動車会議所は「新たなモビリティ社会」に向け、さまざまな課題にチャレンジしていく所存である。