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自動車産業インフォメーション

2025年1月17日

阪神淡路大震災から30年 過去の教訓を生かしサプライチェーン(供給網)の強靭化に注力

関西に拠点を置く多くの自動車関連企業も従業員を含めて阪神大震災の被害を受けた。南海トラフ巨大地震や首都直下地震など、日本は今後も大規模な地震が発生するリスクが高い。30年が経過して被災経験を持つ従業員も減る中、被災した企業では過去の教訓を生かし、災害対策の強化やサプライチェーン(供給網)の強靭化に力を入れる。


死者・行方不明者は6434人、負傷者は4万人を超えた

2011年の東日本大震災では、車載用半導体などの工場が被災して部品供給が止まった影響で、国内外の自動車生産拠点が長期間にわたって稼働停止を余儀なくされた。阪神大震災でも、中小を含め多くのサプライヤーが被災したものの、自動車生産への影響は限定的だった。

 ダイハツ工業は、車両を生産する本社工場(大阪府池田市)と京都工場(京都府大山崎町)が被災した。従業員1人が亡くなり、生産ラインを停止したが、すぐに復旧作業に着手。翌日の夜勤には両工場ともテスト操業し、地震から6日後には全ラインで操業を再開した。

 ダイハツは震災後、高所でのボディー搬送を廃止し、システムのバックアップ、道路寸断を回避するため複数の物流ルートの確保といった対策を取った。京都工場では震災翌年から毎年、1月17日に避難訓練を実施しているほか、工場内に被災状況などの資料を展示し、被災経験を風化させない取り組みを続ける。同社は「従業員が安心・安全に働くことができる職場づくりとカイゼン活動を今後も継続していく」としている。

 欧米、オセアニアでの「ダンロップ」の商標権をグッドイヤーから取り戻した住友ゴム工業。8日に開いたオンライン会見で、山本悟社長は「阪神大震災から30年の節目の年に、ダンロップブランドをグローバル展開できることになったのは感慨深い」と語った。同社は、神戸市にあった本社や工場が被災した。とくに神戸工場は壊滅的な状況で、最終的に閉鎖を決断、名古屋工場(愛知県豊田市)と白河工場(福島県白河市)に生産機能を移した。創業の地にあった神戸工場を地震で失ったことは、その後、グッドイヤーとの提携を機にダンロップブランドを使用する地域を棲(す)み分けたことともに、同社にとって大きなしこりとして残っていた。地震から30年という節目は「住友ゴムが高収益体質の企業として生まれ変わる」(同社)契機になりそうだ。

 神戸製鋼所は、自動車向け鋼板などを製造していた神戸製鉄所(現・神戸線条工場)の高炉が停止し、再稼働まで約3カ月かかった。ただ、加古川製鉄所が生産を継続しながら復旧を進めたことや、鉄鋼各社が代替生産をしたことで供給に大きな問題は生じなかった。

 国内鉄鋼メーカーは、当時の5社から3社体制となり、生産能力の削減も進んで代替生産の余力に乏しい。このため神戸製鋼では、BCP(事業継続計画)の更新を怠らないほか、1月17日を「全社地震防災の日」とし、全社的な地震防災活動を展開。「災害総合対策本部設置訓練」なども実施している。

 バンドー化学は当時、本社が入居していたビルや神戸工場の一部が被災した。地震後は、国内各事業所の建屋に耐震補強を施すとともに、避難訓練を定期的に実施するなどしてきた。30年の節目を迎えて、従業員が「安全・安全で生きいきと働ける職場づくりの実現に改めて取り組む」としている。

 自動車用ホースを手がけるニチリンは、本社機能があったビルが倒壊したことから姫路工場に仮設事務所を設置し、業務を続けた。震災後は耐震補強とともに地震発生時の初動対応や帰宅困難者対応、備蓄品の適切確保などに取り組んでいる。

 特装車などを手がける極東開発工業は当時、西宮市にあった本社と工場・倉庫、さらに川西市にあった伊丹工場が被災したが、地震から6日後には操業を再開した。被災後、BCPの策定や建物の耐震補強、災害備蓄品の拡充、避難訓練なども実施してきた。30年を契機に、これまでの取り組みを再点検するという。同社はまた「災害発生時には地域との連携が必須で、今後、災害時応援協定の締結などを含め、地域との連携強化に向けた施策を検討する」と話した。

カテゴリー 白書・意見書・刊行物
対象者 自動車業界

日刊自動車新聞1月17日掲載